ユートピア
2011年 09月 08日
今では、理想郷なるものを信じる人はいなくなった。
16世紀イギリスの作家、トーマス・モアは「ユートピア」という作品を発表した。当時の人が考えた理想郷というのは、一定の時間のみ労働し、同じ衣服を着て、いわば粗衣粗食に耐えて、私有の財産は持たず、残った時間を文化活動に費やす事が、ユートピアだと考えたのである。管理された人間活動でもある。当時の封建的に抑圧された奴隷の如き人たちからみると、それはまさに夢みたいなことであったのだろう。
しかし、現代人からみるとそんなことは人類の理想とは程遠いものだということが、ソ連などの国家的実験で証明されている。ジョージ・オーエルという作家は20世紀半ばに「1984年」という小説で、スターリンなど権力の支配層を喜劇的に皮肉っている。
村上春樹さんの小説「1Q84年」も、これがヒントになっているらしい。権力のあり方などが参考になっているらしい。
人間らしさを加味した現代の理想郷は「アルカディア」と呼ばれている。わが町の隣にこの名を冠した老人福祉施設がある。どこにでもある老人ホームなのだが、その名に引かれる人も多いようだ。
日本では、武者小路実篤さんという作家が、「新しき村」というものを提唱し、丁度ソ連革命があった頃の大正時代に宮崎県にその村を作り上げた。その後ダムで水没したので、昭和初期に埼玉県に移設した。かなりの人数が集まったそうであるが、結局は失敗に終わった。働く人も、働かない人も平等に扱うということが、そもそも人間の概念にはあっても実際のこととなると耐えられなくなってしまうのである。私などがまだ若い頃は、武者小路さんはまだ人気のある作家だったことを回想している。当時から批判する人もまた沢山いたのも事実である。
先日のNHKにて、世界の街かどという番組で、ニュージーランドの小さな都市を放映していた。桂文珍さんの軽妙な話術もあり、我々から見ると実にのどかである。人々はアクセクとしていない。私と同年代の老夫婦が丘の上のベンチに腰掛けて、暮れ行く夕日をのんびりと眺めている。これこそ現代のユートピアなのではないのかと思ったものだ。しかしここでもカメラには写っていないが、葬儀屋さんだってあるのだろうし、ゴミの問題だってあるにちがいないと思ったものだ。
16世紀イギリスの作家、トーマス・モアは「ユートピア」という作品を発表した。当時の人が考えた理想郷というのは、一定の時間のみ労働し、同じ衣服を着て、いわば粗衣粗食に耐えて、私有の財産は持たず、残った時間を文化活動に費やす事が、ユートピアだと考えたのである。管理された人間活動でもある。当時の封建的に抑圧された奴隷の如き人たちからみると、それはまさに夢みたいなことであったのだろう。
しかし、現代人からみるとそんなことは人類の理想とは程遠いものだということが、ソ連などの国家的実験で証明されている。ジョージ・オーエルという作家は20世紀半ばに「1984年」という小説で、スターリンなど権力の支配層を喜劇的に皮肉っている。
村上春樹さんの小説「1Q84年」も、これがヒントになっているらしい。権力のあり方などが参考になっているらしい。
人間らしさを加味した現代の理想郷は「アルカディア」と呼ばれている。わが町の隣にこの名を冠した老人福祉施設がある。どこにでもある老人ホームなのだが、その名に引かれる人も多いようだ。
日本では、武者小路実篤さんという作家が、「新しき村」というものを提唱し、丁度ソ連革命があった頃の大正時代に宮崎県にその村を作り上げた。その後ダムで水没したので、昭和初期に埼玉県に移設した。かなりの人数が集まったそうであるが、結局は失敗に終わった。働く人も、働かない人も平等に扱うということが、そもそも人間の概念にはあっても実際のこととなると耐えられなくなってしまうのである。私などがまだ若い頃は、武者小路さんはまだ人気のある作家だったことを回想している。当時から批判する人もまた沢山いたのも事実である。
先日のNHKにて、世界の街かどという番組で、ニュージーランドの小さな都市を放映していた。桂文珍さんの軽妙な話術もあり、我々から見ると実にのどかである。人々はアクセクとしていない。私と同年代の老夫婦が丘の上のベンチに腰掛けて、暮れ行く夕日をのんびりと眺めている。これこそ現代のユートピアなのではないのかと思ったものだ。しかしここでもカメラには写っていないが、葬儀屋さんだってあるのだろうし、ゴミの問題だってあるにちがいないと思ったものだ。
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schmidt
at 2011-09-09 14:50
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心の中に、「ユートピア」をひそかに作り、自律のためのルールとしてそれを運用し、リアルな世界にも部分的に適用することにしたいと思います。何かのときに夏目漱石さんに戻るんですが、登場人物=明治の知識人の内省的なことには驚かされます。彼ら一人ひとりが心の中に「ユートピア」を持っていて、それを文学にするとたとえば「彼岸過ぎまで」になる。そんなことなんじゃないかと思います。では自分はどんな形で「ユートピア」を表現していけばいいのか。じっくり考えたいと思うのであります。
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watari41
at 2011-09-09 17:05
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明治の文学者にはそうなんですね。子規もそうでした。内面的自律精神には驚くべきものがあります。その時代に生きた人間でないと、時代背景もわからない点がありますが、現代との共通項も多いのだと思っております。
密かな個人的心のユートピアは誰にでも必要ですね。現代社会を生き抜く力であるのかも知れないと思っています。schmidt さんコメントをありがとうございます。
密かな個人的心のユートピアは誰にでも必要ですね。現代社会を生き抜く力であるのかも知れないと思っています。schmidt さんコメントをありがとうございます。
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watari41
at 2011-09-10 16:23
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昔の人には語るにたる理想郷があったのですね。現代は苦しき事のみ多かりき、みたいですが昔の人からみたら、現代社会をうらやましがるかもしれず、いつの時代でもそこを生き抜くのは大変なことだと思っています。クオリアさん、コメントをありがとうございます。
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michiko
at 2011-09-11 19:06
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どこかにユートピアがあるような夢を誰もがもっているのでしょうが、現実には人間社会は美しいことばかりでなく、欲望や煩悩に苦しむことも多い様な気がします。
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watari41
at 2011-09-11 20:00
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震災で両極端をみました。無償のボランティアがある一方で、被災地に横行する泥棒ですね。人間は両面を持つのでしょうね。michiko さん、コメントをありがとうございます。
by watari41
| 2011-09-08 21:04
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Comments(6)