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余日録


by watari41

津波と地名

 「流」「長瀞」「頭無」、わが町と隣の山元町にある地名である。
 普段は、当たり前の地名だと思っていたのだが、今回の震災で大きな被害を受けて見ると改めて、考えさせられる名称である。いずれも「水」に縁がある。低湿の地なのだが、最近の宅地開発で、多くの人が住むようになった。
 少しばかり奇妙にも思える住所を冠して、他所から移り住んだ人たちは、住みよいところだと満足している人が多かった。

 「流」地区は、浜吉田駅前一帯にあり、かつては、大きな谷地であった。特にその146番地は広大な面積がある。何百軒かの家が同じ番地なのである。区別するのに番地の下にまた数字を設けている。146-○○○○、枝番はもう1300を越えている。それでもまだまだ空き地がある。海岸から2km程のこの一帯は、津波で大きな被害を受けた。かつては大雨が降ると洪水状態が続いた土地だったのであろう。排水施設が整備されて山からの水には強くなっていたが、海水が来るとは思われていなかった。

 「長瀞」も、そんな感じのところだったのだろう。静かなる流れのあるところという意味であるが、阿武隈山脈の北端に降り注いだ雨が静かに海にそそいだのだろう。傾斜の弱い土地なのである。逆に少し離れた私の住む街中には動転沢という川がある。これは山に降った雨が一気に沢に集まり流れ下るためである。現在は砂防ダムがこれを抑えている。

 「頭無」(カシラナシ)は、山下駅一帯の地区である。出水した時にどこから水が来たのかわからないが、大きな水溜りが出来てしまうというような意味合いのもので、頭が無いということだ。全国的にも何箇所かこの地名がある。最初にこの地名を見た人は、首のない死体の捨てられたところと思ってしまうようだ。

 今や、いずれも瀟洒な住宅の建つ閑静なところだったが、それも過去形になってしまった。どんな復興プランになるのか、あるいは数十年が過ぎると忘れ去られて、また多くの人が住むようになるのか、被災地はまだまだ、戦後の焼け野原状態だが、人間が住む場所とはつくづく難しいものだと思っている。
Commented by schmidt at 2011-05-10 16:52 x
 まったくその通りですね。地名には、遠い昔の記憶のかけらがすりこまれているものがあります。旧名保存のような単なる復古趣味ではなく、人間の暮らしを設計する知恵、情報としてしっかり体系化する必要があります。
Commented by watari41 at 2011-05-10 20:09 x
 町名・市名にもそんな感じを持ってました。南三陸町、南相馬市、もっと良い名前があったのではと。まぎらわしいものもあります。伊達市ですね。北海道と福島県と、そのうちに何か間違いを起こさなければよいがと。schmidtさんコメントをありがとうございます。
Commented by クオリア at 2011-05-11 09:39 x
地名の歴史にもっと関心を持つべきなのですね。
私の住んでる地名も昔は芋沢峠の通り道なのです。
掘削した敷地は大丈夫でしたが土砂で整地したところの住宅はやられていました。
Commented by watari41 at 2011-05-12 10:14 x
液状化現象でやられたところは本来は
どんな地名だったのかと思うのです。
わが町にも海岸近くに内浦とか、危ないところがありましたが、津波で全ては消されてしまいました。クオリアさんコメントをありがとうございます。
Commented by sidu-haha at 2012-07-14 12:12
初めてお邪魔します。
山元町の頭無を調べておりましたら、こちらへ到着しました。
どんな意味を持っているのか知りたくって~^
Commented by watari41 at 2012-07-14 22:34 x
頭無(カシラナシ)と呼びます。昔は大きな水溜りの場所でした。通常水溜りには、湧水のところとか、流れ込んでくる水の位置が特定されるのです。そこを頭と読んでます。頭無は大きな水溜りで、頭がどこかわからなかたのです。常磐線山下駅前周辺で低地なのです。津波ですっかり持って行かれました。sidu-hahaを拝見しました。緑と野鳥の豊かなところですね。山元町も、そんなところでした。コメントをありがとうございます。
by watari41 | 2011-05-06 17:21 | Comments(6)