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余日録


by watari41

津波と常磐線

 JR常磐線は、太平洋岸そして原発地帯を通る。今回の災害を諸に受けた。仙台から亘理までは先日なんとか復旧したが、ここから先は全く回復のメドが立っていない。津波をまともに受けて駅舎は崩壊し、線路は曲がっている。亘理町の隣である宮城県南端の山元町では海岸から1kmと離れていないところを通っている。

 明治30年に常磐線は開通した。工事を容易にしようとしたのだと思う。線路は直線である。本州では最長の10km以上の真っ直ぐなコースとなっている。本来ならそのままの直線が亘理町の東部を通過して阿武隈川を渡り、岩沼に至るはずだった。そうなると直線部分は20km以上になっていた。
 それを変えたのが、時の旧亘理町長、武田万次郎であった。当初の予定である直線コースでは、亘理の町並みを大きく外れてしまうので、彼は亘理のコースを大きく捻じ曲げて街に近い駅舎とした。これは万次郎のへそ曲がりとも言われている。彼には先見の明があったのだ。

 旧亘理の町民は大きな利便を受けて、線路と駅舎は今回の津波も免れた。
 常磐線が開通してから114年になる。私は16歳の高校入学時から仙台への通学・通勤に乗車しているので、線路歴史のほぼ半分を利用したことになる。

 これからの亘理駅以南の常磐線復旧はどうなるのだろうかと思う。思い切って山側のコースに変更するのか、それとも今の線路を土盛りして、津波堤防を兼ねたものにするのか、廃線にするのか、難しい判断を迫られよう。
 いずれにしても、原発地帯をしばらくは通ることが出来ないはずだ。福島県の浜どおり地帯は陸の孤島と化する。
 「今は山なか、今は浜、今はトンネル通るとこ・・・」という唱歌は、この地帯の光景を詠っている。ここ数十年は、繁栄する東京のエネルギーを担ってきた。第一、第二の巨大な原子力発電所群がある。
 今や存在が薄れつつある2本の常磐線レール。かつては海岸線を黒煙をあげながらの大動脈だった頃を回想している。人類は将来、津波のエネルギーを制御できるようになるのだろうかなどと夢想しながら、今日もまた津波で奪われた山元町の方の葬儀に参列してきた。
Commented by Schmidt at 2011-04-18 15:35 x
まったく考えさせられることが多いですね。わたしはこの1年でサラリーマン生活に節目がくるので、「これから」が即ち3.11大震災以後になるんです。
Commented by watari41 at 2011-04-18 20:53 x
歴史的な日になりました2011.3.11です。何百年後かにも語り継がれるはずです。どんな復興をするのかが問われています。Schmidtさん、コメントをありがとうございます。
Commented by クオリア at 2011-04-22 12:01 x
8年前に磯浜のセカンドハウスに住んでいました。
3年ほどで売却しました。近くの高台には伊達の殿様が太平洋用を見渡していたという座石がありました。そこで朝日を私も良く眺めていました。
穏やかな静かで浪打の音がなんともいいえぬほど心地よい音でした。しかし岩盤が怒ると地獄のような様相に変貌し愕然としました。
近所の人たちはどなったのでしょうか 毎日瞑想しています。
Commented by watari41 at 2011-04-22 16:59 x
伊達政宗は海を知らない武将でした。初めて海を見たのが、相馬軍を打ち破って、磯浜に出た20歳を過ぎてからのことでした。その磯浜が今回の津波で最も大きな被害を受けたようです。地震イコール津波の認識は、磯浜辺りでは10%くらいしかなかったのですね。これが三陸町になると90%を超えるそうですが、山元町では多くの死者が出て、未だ行方不明者も多いのです。
ご冥福を祈るしかありません。クオリアさんコメントをありがとうございました。
by watari41 | 2011-04-17 17:35 | Comments(4)