みちのくの鉄

 表題は本の題名である。「みちのくの鉄」の編者は田口勇さんなどの方々で、田口さんは新日鉄の研究所に勤務され、国立民族博物館教授に転出されたユニークな経歴をお持ちである。
 内容は江戸時代の仙台藩(現在の宮城県プラス岩手県南部)における「製鉄」の研究だが、一般の方々が読んでもわかるように記述されている。
 冒頭に仙台藩の地図が掲載されているが、各地におびただしい数の製鉄遺跡が存在していたことがわかる。それだけの原料が存在していたことになる。川が運んできた砂鉄である。
 わが町の南端にもその一つが存在する。「ハナレ森遺跡」と呼ばれている。先日そこを訪ねた。車は私のボローラと称する年代ものだ。
 a0021554_15374440.jpg標柱には、弥生時代の土器や1300年前の鉄宰が層状になって存在するとある。しかし丘の周囲を歩いたが何にもない。丁度農作業をしていた老人がいたので訪ねてみた。老人曰く、残念なことにここの土が良いということで、仙台空港の滑走路延長や周辺の埋め立て土砂として、大量に削り取られてしまったというのである。丘の頂上近辺は平らになり、そこには工場が建っている。そこに鉄宰があったというのである。
 さらに曰く、その原料は”製鉄所”のあった西側の阿武隈山中から掘り出していた。そこを鉄堀澤(カナホリサワ)と呼んでいたそうで、その成分が釜石のものと近いということで、戦時中にはそれを掘り出して釜石まで運ぶ計画があったそうだ。第二次大戦中の鉄鋼増産の秘話みたいなものなのだろう。しかし、当時のこととて最寄の常磐線までトロッコ線路を敷設する必要があり、結局は断念したそうである。老人は鉄堀澤まで行ってみるかというので、おおよその場所を教えてもらった。
 ボローラを駆って、林道を登ったらまだ雪が残っていた。そこをもろともせずに走ったのだが、ハンドルが利かなくなってしまった。しまったと思ったがもう遅い。ズルズルと滑り、側溝に後輪を落としてしまった。こうなるとどうにもならない。JAFのお世話になった。救難車が私のところ迄くるのに、きちんとチェーンを巻いているのだから何とも恥ずかしいことだ。お粗末の一席となってしまった。わが町の鉄鋼生産についてはまた別途稿を改めたい。
[PR]
Commented by ようこ at 2011-03-01 16:16 x
老人の鉄の話しは興味深いですね。さらに、調べてみるのもいいかも。ご老人は、鉄堀澤(カナホリサワ)の守り神だったとか・・・。
Commented by watari41 at 2011-03-04 17:24 x
年齢を聞いたら、私とは10歳ほどしか違わない。昼を過ぎていたので孫嫁さんが、じいちゃんご飯だよと呼びにきました。ようこさんコメントをありがとうございました。
Commented by moai at 2011-03-05 09:31 x
たたら製鉄の話ですね、当地播磨から中国地方にかけてもあちこちにその跡があります。百済の職人からつたわり、江戸期にはおけらとよぶ鉄の塊を備前岡山を中心とする日本刀の原料として使われたようです。興味深いのは日本刀は刃物として現代でも際立った技術に属するということですが、モアイはなぜ近代清廉でそれを越えられないのかずっと不思議に思っていて、最近冶金の先生にお会いしたとき質問したらそれはたぶん成分のせいではなく鍛練の方法が違うので、そのせいで工業的にはできない程度の結晶粒度が達成されているからでしょう。といわれ納得、お互い鉄の話には興味を惹かれますね。
Commented by watari at 2011-03-05 17:49 x
備前長船の名刀があったり、その他の名もなき備前刀があるのも鍛錬の違いによるものなのでしょうね。現代の技術力をもってしても工業化できないもの故、21世紀の世の中に刀鍛冶が存在するんですね。宮城県には大和伝をもって知られる何代も続く刀工が新年になると必ずテレビ番組に打ち始めとして写りますが、鍛錬の妙というのが存在しているのが面白いことです。moaiさん、コメントをありがとうございます。
by watari41 | 2011-03-01 15:46 | Comments(4)