失言

 「本音」が思わず口から飛び出すことがある。「失言」だと表現される。
 普段には考えてもいないことが言葉となって出て来るはずがない。
 本来の「失言」というのもおかしいが、ひとくくりにされている失言にも各種あるようだ。

 3.11大震災があっちの方でよかったと。東北が蔑視されているとは言わなくとも、軽く見られていることは間違いない。その証拠が、どうでもいい大臣を復興相に当てている。
 最初の民主党政権の松本大臣がひどかった。就任後に宮城県を訪れたが、この田舎知事めという態度がありありだった。「知恵をだしたら金を出す」というのも見下げられたものだ。
 次の平野さんも岩手の人だったが「失言」こそなかったが政治的な節操が疑わしい。小沢さんの勢いがなくなると民主党から自民党へ乗り換えようとしている。

 お辞めになった今村大臣は佐賀の人である。明治維新の「薩長土肥」という概念から抜け出せていないように思われた。白河(福島県南部)以北は一山百文と称された如く、価値のない地域であるという感覚が150年も続いていることをいみじくも表した。
 政府のゆるみなどともいわれるが、本音を披歴しない大臣が優秀な政治家だというのもおかしなものだ。
 沖縄と東北はどうも軽くみられている。「土人」「熊襲」と発言した民間人もいる。
「本音」を口から出してはならない場合がある。だからといって二枚舌も困る。

 科学の進歩は、人間の脳が何を考えているかを見抜けるようになるそうだ。
 本音を披歴したのか、思わず口を滑らせたのかが、わかるようになるのだろう。

 近代社会に入って言葉ほど重要なものはないとされる。昔と違い音声も映像も記録に残る。失言が喧嘩だけではなく、戦争を呼び起こすこともある。

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# by watari41 | 2017-05-01 20:59 | Comments(0)

鯨と米国

 アメリカ繁栄の礎を築いたのは、意外にも捕鯨だったというのである。
 もちろん鯨肉を食べたわけではない。マッコウクジラの「鯨油」である。頭が特殊な形をしているが、そこに沢山の油が詰まっているようだ。
 19世紀中頃の産業機械が大量の油を必要とした。アメリカは世界中のマッコウクジラを取りまくった。ペリー艦隊が日本に来たあたりが最盛期だったようだ。年間の捕獲数が百万頭ともいわれ、絶滅寸前までいったのだという。
 そうなると、マッコウクジラが少ないのだから船を出しても採算が合わずに当然のことながら捕鯨は中止になった。
 丁度、その頃に油田が発見されて、鯨油は必要とされなくなった。

 ジョン万次郎が、嵐に遭い漂流の末に絶海の孤島に流れ着き、アメリカ捕鯨船に発見され救い出されたのも、当時のアメリカは世界中に捕鯨船を出していたからである。

 歴史上タイミングがよかったとされる日本の開国も、アメリカ捕鯨船の補給基地を日本に求めたからに他ならない。

 日本にも、もちろん近海捕鯨が江戸時代より盛んになるが、漁師の人力によるものである。一頭が捕獲できれば頭から尾びれまで、余すところなく利用された。
 捨てるという概念がない。何かに利用できないだろうかと考えるのが日本人である。

 牛タンもそんなことだった。仙台が意外なことで有名になっている。先日一番丁三越の近くを歩いていたら、田舎から出て来たようなオバサンに声をかけられた。このあたりに牛タンで有名な利休庵はどこでしょうかと尋ねられた。私も名前は聞いたことがあるが、田舎から出てきているのでわからないんですと答えてしまった。

 昼食の時間だったので、近くの一杯飯屋に入ったらサラリーマンで込んでいた。棚にある焼き魚と野菜、それにドンブリご飯で500円だった。
 50年前だと沢山の鯨肉も並んでいたはずだ。今の世の捕鯨反対をアメリカは歴史的経緯からそんなには叫んでいない。

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# by watari41 | 2017-04-22 16:33 | Comments(0)

「蜜蜂と遠雷」

 「直木賞」と「本屋大賞」を同時に受賞することになった極めて珍しい小説が「恩田睦」作、「蜜蜂と遠雷」である。
 50万部が売れたそうだ。日本人の200人に一人が買ったことになる。
 
 「直木賞」は小説のプロが選んだものである。これぞ小説であるというものだ。過去には難解なものも結構多かった。
 「本屋大賞」は素人が選ぶ、お客さんに勧めたい、読んで面白いものである。隠れた名品を選ぶ目的もあったようだ。しかし、本屋大賞の方が断然売れ行きも良くて権威あるが如きものになってきている。この賞をいただくのに、全国の本屋さんに猛烈にアタックしたという噂の本もあった。その本は運動をした効果もあったのだろうが目的通りに賞を得た。題名につられ読んでみたが、ビジネス関連の内容なのでそれなりに面白かった。

 今回の如く両賞を同時受賞というのは小説に関しては、専門家と素人の距離が急速に近づいてきているのかとも思う。
 現代は書籍で溢れかえっている。
 小生なども、限られた時間しかないので何を読んだらよいのかわからない。自分が興味のある分野の他に「賞」をいただいたものというのも読む基準になる。全国の皆さんも似たようなものではなかろうか。

 今回のダブル受賞作「蜜蜂と遠雷」は直木賞の時点で購入した。内容が実にすばらしいのである。全編から音楽があふれ出している本だともいえる。正直にいうと私は音楽のわからない男である。カラオケで歌うと音程がはずれているのがわかる、いわば音痴に近い。しかし耳ではなく目から入る音楽は理解ができる。
 「直木賞」が先に決まっているので、当然ながら本屋さんの人達も読んでいるはずだ。普通なら違う作品を選ぶようだが、それらを乗り越えて選択された。
 素人から専門家にまで激賞されたということになる。ピアノ音楽を表す驚くべき表現がいくつも出て来る。「胸の奥底の小さなポケットが共鳴する」(記憶が不確かです)とか。
 究極の音楽を文章で表す、文字を音符とする音楽ではなくて文学なのである。

 

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# by watari41 | 2017-04-17 17:21 | Comments(0)

東芝の破綻

 「想定外」というのは、自然界だけではなくて人間界にも起きる。
東芝が破綻するなどとは誰も考えたことが無かったに違いない。シャープの時もそうだった。日本航空の時だって想定外の出来事だった。

 織物などと同じように、一端のほころびがでると、瞬く間に何も無くなってしまうことがある。
 だが東芝に幸いなのは、フラッシュメモリーという巨大な資産が残っていた。総額2兆円ともされる。この製品がUSBメモリーとして世に出た時は驚いたものだ。フロッピイーディスクはたちまちにして駆逐された。
 最初の発明者は舛岡さんという筆者などと同世代の人である。この人は発明をさらに発展させたかったようだが、当時の東芝では煙たがられたようで、50才の頃に棚上げの昇格人事を嫌って退職した。その後に東北大学教授などとして研究を続けていたことはよく知られている。東芝はそのメモリーの売り上げを伸ばしたので、後に特許料を請求する裁判を起こして1億円近いものを得たのも話題になった。舛岡さんの如き二匹目のドジョウを狙ったのであろう。東芝ではその後、東北大の学生を積極的に採用するようになったという話がある。

 現在の時価である2兆円などとは想定外であったろう。舛岡さんは年令を重ねるにつれ各種の勲章をもらっているが、発明の大きさからするとまだまだ少ないようだ。
 何よりも東芝を救うことになるかもしれない巨額である。

 その売却先も間もなく明らかになるであろうが、今度は国家の安全保障という想定外の難問が待ち受けているかもしれない。
 ずっと昔のことになるが、潜水艦のスクリューで東芝がやり玉に上がったことを記憶されている方も多いと思う。あまりにも精密な工作機械がソ連に輸出され、スクリュー音の出ない潜水艦が出来て、大問題になり就任したばかりの社長が責任を取らざるを得なかったことがある。いろんなことで記憶される会社である。

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# by watari41 | 2017-04-02 21:11 | Comments(0)

政治力

 籠池学園騒動は何から何まで全てがおかしい。現代社会では、有り得ないと思われていたことが目の前にある。毎日、面白おかしく取り上げられている。
 「政治力」ということを再認識させられた事件である。最初の告発者がいなければ、メディアにも知られることなく開校の運びとなったのであろう。
 事があまりにも大きくなってしまえば、安倍内閣そのものが倒れてしまうということで、シッポ切りという表現を使ったのであろう。
 籠池さんという表現力のあるキャラクターがマスコミ好みなのでもあろう。最初の段階で10日間はおとなしくしててほしいと財務省に言われたそうであるが、そのぐらいの期間をおけば世の中は沈静化すると思われたのだろう。甘すぎた。

 「東」では小池さんの一人舞台だが、「西」では籠池さんと無礼者の鴻池さんと2人の主役。
いずれも「池」の人である。
 せめて湖、できるなら海であってほしい。余計なことである。

 典型的な政治力が働いたと思ったのが、ずっと前のことになるが佐川急便事件というのがあった。その発端が、法規上建築物が建てられない地域のところであった、関東のとあるインターチェンジ付近に佐川の巨大な物流センターができた。その後に、法規を調べたら、そこに例外規則のように、建物OKの文言が巧妙に付け加えられていたというのである。その時点ではあまり騒がれなかった。
 そのご、佐川事件は別の形でどんどん拡大し、当時の渡辺社長が紙袋に入った4千万円を金丸さんに渡したことや、暴力団が絡んだことで大事件となった。金丸さんの自宅捜索が行われて金の延べ板まで出てくる有名な話になった。金丸さんの話が面白かった「私のような立場になるとお金が集まってくるんですね」と平然と発言していたのには驚いた。

 最近はお金よりも、学校建設などむしろ思想関連に政治力が働く時代になりつつあるのだろう。小学校建設に関連政治家各位の暗黙の了解があったのだろう。

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# by watari41 | 2017-03-16 11:25 | Comments(2)

あれから6年

 6年間というのは、長いようで過ぎてみると短いような気もする。
 漁港近くに住んでいた同級生K君は、介護度5の判定を受けて施設に入った。

 その時、2013.3.11には、彼は奥さんと出かけていて津波を見ていない。自宅は根こそぎ流され、跡かたもなくなった。実感が持てないんだよと何度も言っていた。街中の親戚の好意があって、避難所も仮設住宅も殆ど経験することなく、その点は幸運であった。

 だがショックは大きかったのだと思う。1年ほどが過ぎて軽い脳梗塞に罹った。治ったものの認知症ぎみとなってしまったのである。
 以降、ほとんど外出もしなくなってしまい昨年容態が悪化して、最悪の介護状態に至ってしまったのである。
 年令に不足はない歳といえばそうであるが、10年は早かったように思う。

 今年も追悼式典への案内状がきている。
 「震災格差」ともいうべきものがあるように思っている。もともと存在した格差がさらに拡大した。貧しきものはさらに貧しく。富者はこれを機会にさらに財を増やした人もいる。

 復興が進んでいると言われる。
 新たに開通した高架鉄道線路、駅前に広がる新規な街並み、これから大発展を遂げる東京郊外の私鉄沿線の如き姿で出現したのが宮城県山元町である。残念ながら時代が半世紀ずれてしまった。年寄りの比率がきわめて大きく、この6年間に人口の20%が減じている。

 町が目指している姿とは異なるのだろうが、高齢化社会のモデル地区が出来るのかもしれない期待がある。


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# by watari41 | 2017-03-09 17:37 | Comments(0)

瑕疵担保責任

 石原元東京都知事の記者会見を見ていた。
「瑕疵担保責任」が焦点となっていた。売り手が買い手と契約を交わす場合に、その条項が最後に必ず入るものだ。筆者も在職の頃、何度か経験した。
 東京都が豊洲を購入した時に、売り手である東京ガスに対して、瑕疵担保責任を免責しているのだから、通常は考えられないことをしていた。
 石原さんは、そんな細かいことは知らなかったとおっしゃる。実はそのために東京都は後日、何百億円かを汚染対策に余分に支払う事になる。
 石原さんはメクラ判を押していたようだ。実際の推進者は、前川さんという当時の知事部局長で、議会もこれを承認しており、石原さんは印を押すしかなかったということだ。

 その前川さんは、交渉相手の東京ガスの役員に天下り7年在職する。現在は練馬区長である。偶然のことであるが筆者の購読している農業共済新聞のコラム蘭の最新号(2月28日)に前川さんが寄稿している。「練馬には生きた都市農業がある」と題して、なかなかの政治家である。事前に石原さんは、迷惑のかかる人がいるかもしれないと言ったのは、その事であろう。

 前川さんの釈明はこれからになるのだろうが、当然のことながら、知事から買収交渉を急ぐように催促され、そのようにせざるを得なかったということになるのだろう。

 最終的にどこに責任があるのかわからなくなるのが官庁である。今日の記者会見を見ていて益々その感を深くした。

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# by watari41 | 2017-03-03 17:43 | Comments(0)

国家への貢献

 私の妻は10年前のことになるが64才で亡くなった。
 年金を貰う寸前のことである。国民年金の他に公務員をしていた時期があり、当時は退職時にもらうのではなくて、後年の年金用に基金(400万円くらいではなかったろうか)みたいな形でそのまま預金しておく制度があって、それを利用した。
 亡くなる直前に65才になったら、これこれ支給しますよという書面まできていた。

 民間のオンボロ会社勤務だった小生とあまり変わらぬ金額だったように思う。
 妻は、年金の種類が違うので自分が亡くなったら、そのまま夫たる私がもらえるものだと思っていた。
 ところが亡くなってから、その手続きに行ったら、現在は一人一年金であり、そういうことはありませんということでまずはガックリきた。
 ところで、最初の元金は利息が付いた状態で返してもらえるのでしょうかと聞いたところ、これまたスゲナイ。年金保険というのは、あくまでも長生きした場合の国家の保険なんです。死んだ場合にはダメなのです。全額没収されるのですと。
 理屈では確かにその通りなのだろうが、何とも割り切れない思いをしたものだ。

 考えてみたら、妻は早死にして国家に対して大変なる貢献をしたことになるのである。
 今や長寿社会である。元校長だった男は、死ねばもちろんだが、もう少し長生きすると生存者叙勲になるなどと語っていた。

 長寿はもちろん目出度いことにちがいないがいろんな側面をもっている。人の寿命はわからない。小生は出来るだけ国家に貢献したくはないと思っているのだが、あと何年生きるのだろうか。
 

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# by watari41 | 2017-02-25 15:10 | Comments(4)

現場を見る

 先日、近所の人が国道6号線を通り、福島第一原発の近くを見て来た話を聞いた。
私も、常磐道を通り東京まで行ったことがあるが、高速道路は原発から7kmほどのところを走るのに対して、6号線は2kmまで近づき人家も多い。勿論のこと一般人は避難していていない。車は止まる事を許されず、通り抜けるだけだったようだが、両側には除染した廃棄物が黒い土嚢にうずたかく積まれ、異様な光景と同時に惨憺たる廃墟の如き街並みだったというのである。

 このような現場状況を実際に見たならば、二度と原発を動かそうなどということは考えられないはずだという。
 議論をしている人達も、一度はそこを通り抜けてから論戦に入ってほしいものだというのである。現場を知らずして物事を語るという事は在職の頃はよくあったものだ。現場にはたくさんの事実と知るべきことがある。テレビや新聞の報道は一部を語っているに過ぎないことが多い。

 これまでは想像でしかなかった、格納容器の中にカメラが入った。とんでもない数字とともに、最初はなかなか理解しがたい映像があった。網の上に溶け落ちた核燃料がある状態を写しているのだというが、それが何をものがたるのかは一般人にはわかりにくい。私などのレベルでは、納得するのにしばらくの時間を要した。それからゾットしたものである。

 ロボットが入ったが、途中までしか行けなかった。事故直後の話では、ロボットの開発に2年という話だったが、それでも長いと感じたが、もはや6年の歳月が過ぎようとしている。
 科学技術の開発は、通常は予定よりも早く進むものだが、放射能だけは如何ともし難いよういだ。
 その意外な副産物ともいうべきものが、東芝の経営破城である。原発の見込み違いにより兆単位の損失になるみたいだ。
 何よりも気の毒なのは、十万人にもおよぶ避難被災者である。

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# by watari41 | 2017-02-17 16:49 | Comments(0)

公然の秘密

 文部科学省の天下りが大騒ぎとなっている。そんなことは昔から誰にでもわかっていたことであり、何をいまさらという感じがしないまでもない。
 過去に何度も問題化したことがあり、公式的には有能な人材の活用であって、天下りなどでは決して無いとされているが、実態を聞いて驚いた。67才の元締めの人は、年収1500万円で2度だけ生命保険会社に出勤すればOKだというのだから何をかいわんやである。

 日本の公務員に汚職が少ないのは、定年後、あるいはその直前から天国の如き天下り生活が保障されているからとも言われているが、通常の感覚では有り得ないことである。

 公然の秘密といえば、全国の市町村に官製談合の無いところはないはずである。特に土木関連では当然のこととされている。各自治体では、自分の地域内に小さくとも土建会社を残して置かないことには、いざという時に困るのである。暗黙の了解事項でもある。

 時として、その権力を必要以上に使ってしまうと、検察側も見逃すことが出来なくなってくる。天下りも個別的にはOKだが、組織的にやるとNGだというこれまた暗黙の了解があるのだろう。文部科学省はそこに、引っかかってしまったようだ。

 大きな公務員組織に入ると、70才くらいまでは何かと面倒をみてもらい、給料を頂戴できるようだ。同級生にも田舎の学校を卒業して警視庁に入った男が、定年後に所々を点々として、そんな年令以降に年金生活となったようである。

 残念ながら、民間ではそんなことは有り得ず、凄まじい競争社会であることはよく知られている通りで、新市場主義経済というのはそれに拍車をかけている。
 ギリシャの如く、国民の3割近くが公務員になってしまうと、国家は破産状態になるが日本では市囲の方々が頑張って支えているといえよう。しかしいつかは持ちこたえられなくなる時がやってくるのだろう。

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# by watari41 | 2017-02-13 21:03 | Comments(0)

人間の純度

 先日、詩人「中原中也」の番組を見ていたら、コメンテータが「純度の高い人」であったからこそ百年後の現代人の心にも響くと話していた。
 「人間の純度」という表現に新鮮な驚きを感じた。純粋な人間というのは稀にいる。こんな人は周囲と妥協できず、どちらかと言えば孤立しがちだ。
 喜びを率直に表しすぎ、悲しさを最後の最後まで訴えるからである。
 純粋さと同時に発想力や表現力を兼ね備えていなければ、後世には忘れ去られてしまう。

 弘法大師空海は、後継者と頼む若い弟子に先立たれた。その追悼に「悲しいかな」ああ「悲しいかな」と繰り返し繰り返し書いている。それ以上の表現方法はないのであろう。空海は厳しい修行を行ったとされる。それは「人間の純度」を高めるためのものであったのだろう。
 現在でも、千日回峰とか極限の修行が、人間の不純物を追い出すと考えられているのであろう。生きながらにして仏様になる、即身成仏という言葉がある。僧侶は「悟り」を得た人というが、一般的にはよくわからない。現代風に表現するなら純度100%になったということなのであろう。
 名僧・高僧と言われる方々が到達した境地なのだと考えている。

 この世には筆者などの如き、不純物に満ち満ちた人が大多数派のはずである。
 現代のお寺さんは、便利なことに死ねば誰でも仏様として扱う。つまりは存在が無くいなったのであるから、不純物もまた無くなったのである。
 筆生凡人の極めて乱暴な解釈であるが、当たらずとも遠からずと思っている。
 

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# by watari41 | 2017-02-05 15:47 | Comments(0)